「いただきます」
新宿の家で9か月一緒に過ごしたニワトリたち。
先週末、私たちは一つの決断をしました。
都会での暮らしに農を取り入れるため、ペットとしてではなく、家畜として私たちの家にやってきたニワトリたち。
美味しい卵を産んでくれていた彼女たちを、お肉として頂くことにしました。
採卵用のニワトリを、最終的にはお肉として食べるということは、飼う時から既にみんなの間で決めていたこと。
農場で鶏肉や豚肉を頂くときに心から感じた「いただきます」という気持ちを、都会の真ん中でも感じようという実験の一つでした。
そう、わかってはいるはずなんだけど、実際これから命を頂くとなると、みんな複雑で・・・。
それでも最後まで見届け、次に私が見たのはさばかれて「鶏肉」となった状態でした。
そうなると不思議なもので、「うちで飼ってたニワトリ」ではなくて、本当にただの「お肉」として扱う私がいました。
実はあまり肉が好きではなくて、普段からそんなに食べないんだけど、今回は「食べなきゃ」という意識が強く、意を決して一切れ頂きました。
お味は、ウマかった!
けど、ものすごく硬かった!
もう何年も生きた鶏だからねぇ・・・と。
じゃあ、通常スーパーで売られている鶏ってどれくらいで市場に回るの?という問いかけに驚きの答え。
なんと、生後50~60日なんだそうです。
ニワトリの寿命って10年前後あるのに。
たったそれだけの期間で大人になることもびっくりだけど、その間どんな餌を食べ、どんな環境で育ち、どういう過程を経て私たちの食卓に出てきているんだろう。
私たち消費者は、ただ黙ってそれを受け取っていればいいんだろうか。
一つ、心に残った言葉。
いよいよ絞めるぞというときに、沈痛な視線を感じたのか農場のやすたかが言った一言。
「俺も決して楽しんでやる訳じゃないねんで」
そうだよね。
普段私たちが食べている食事は、たくさんの命の集合体。
でも、私たち消費者はそこまでにどういう人たちがどういう思いで関わっているかということをほとんど意識しないし、
お肉や魚がパックに入って売られていることにもなんの疑問も責任も持たない。
お肉を食べること自体に否定的になる訳ではないけれど、食べるのであれば残すことはしないでおこうと強く思うようになりました。
それが私たちが表現できる感謝のカタチだし、果たせる責任だと思うから。
「いただきます」という言葉の重みを、改めて感じた夕食でした。
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